三 谷幸喜のありふれた生活4〜冷や汗の向こう側〜
 

局 長・副長、涙で撮影を終える
 十月十日。「新選組!」の最終収録が終わった。 ラストカットは香取慎吾演じる近藤勇のアップ。既に山本耕史、藤原竜也らメーンキャストは前の週に収録を完了しており、その日撮影があったのは、新選組隊 士では局長だけ。収録が終わりに近づくにつれ、スタジオには続々と出番を終えた出演者たちが集まってきた。山本太郎、堺雅人、中村勘太郎、小林隆、そして 番組途中で死んでいったその他の隊士たち。厳粛な雰囲気の中、時間差で懐かしい顔ぶれが続々と集まってくる様子は、なんだかお通夜みたいだった。
 廊下に設置されたモニターの前で、僕らは局長の「その時」を見守った。最終シーンを撮り終え、モニターチェックが済み、フロアディレクターさんの「は い、OKです」の声を聞くや、僕らはスタジオになだれ込んだ。
 セットの真ん中では、衣装をつけメークをしたままの香取慎吾が、ボーッと立っていた。テーマ曲が流れ、スタッフ・キャストの拍手が巻き起こる。くす玉が 割れ、紙吹雪が舞った。山本耕史 が、局長の元へ駆け寄り、力強く抱きしめた。その瞬間、局長の目から涙がこぼれ落ちた。
 僕の知っている香取慎吾は、決して役と同化しないタイプの役者だった。驚異的な集 中力で本番は渾身の演技を見せるが、現場を離れると、役のことは一切忘れる。その彼が最終収録の前、昨日は眠れなかったと、そっと打ち明けてくれた、この 数日、近藤勇が自分から離れなかったそうだ。ドラマの中で彼は死を迎えるが、同時に自分も死んでしまうのではないか、そんな恐怖を感じたらしい。
 幸い、収録が終わっても香取慎吾は生きていたが、普段は意外と冷静でクールな彼 が、人前で涙を見せたのは意外だった。一年にわたって、一人の人物を演じるということは、きっとそういうことなのだろう。
 翌日、打ち上げが行われた。前の日、香取慎吾は収録を終えた後に、隊士たちと朝まで飲み、その足で「笑っていいとも!」に出演。会が 始まった時は疲労困憊だった。隣りには山本耕史がいて、終始彼を気遣う。一 年間苦労を共にしてきた二人は、プライベートでも局長と副長の間柄だった。
 心身共にグダグダの 局長を支え続けた山本副長。ところが一年を振り返るVTRがモニターに映し出された時、彼の中で何かがはじけたのだろう、副長は突然泣き出した。人目もは ばからずに。それも並みの泣き方ではなかった。涙と鼻水で顔面がぐしゃぐしゃになり、挙句には「い、息が出来ない」と叫びながら副長は悶え苦しんだ。
 いきなりふた回りく らい小さくなったその肩を、今度は香取慎吾が優しく抱きしめる。ドラマのワンシーンを思い出した。山南さんが死んだ時、泣きじゃくる副長の肩に局長が手を 回したあの場面だ。ただし違っていたのは、局長の顔。彼は困ったように眉間に皺を寄せ、そして僕を見て嬉しそうに微笑んだ。それは近藤勇の 顔ではなかった。あの茶目っ気たっぷりのカトリシンゴがそこにはいた。


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